なんとか合格した学校。大学でさぼりまくったキャンパス。今回はちゃんと通う自信があった。
大学は講義の日程を自分で組んで、自分で調整しなければならない。
私はそれが苦手だった。細かい作業が苦手で好きじゃなった。今もけど。
でも専門学校は「嫌だ」といっても授業が組まれている。だから通う自信はあった。
ただ3年遠回りなので、現役生からしたら少しお兄さんという立ち位置だった。
そして、社会人もどきをかじっていたことが、不の連鎖をまねくようになった。
授業が面白くない講師の授業は聞かない。というスタンス。
高いお金を払ってるんだから、興味持つような面白い授業を提供しろ!!しないなら聞かない!と
アホみたいな発想。そのため、成績は大きく傾き、講師の好き嫌いで大きく変動した。
中間と期末と大きなテストがあったがそれぞれ、4,5個は赤点とってた気がする。
そのたびに1教科3000円の再テスト料を払い合格していた。そのお金はバイト代から工面して
いたので、わたしがそんなアホなスタンスで専門学校にいることは親には知られていなかった。
表向きはいつも「順調順調♪」と言ってた。
そのころは馬小屋でもバイトができて、馬房掃除、手入れ、馬装、下乗り、手入れなどでお給料をいただいてた。下乗りは馬装した馬の準備運動みたいなもので、遊びに来た馬主さんが乗る前に、軽く乗って乗りやすい状態にしてお渡しする作業。
馬術は心の依存場所で、自分の存在価値というか存在意義がそこにあった。
最近は乗れる環境がなく、乗ってないけど、おそらく世の中に自分の存在意義を見つけたんだと思う。
そういや。授業中に前の女の子が急に泣き出したことがあった。その子は泣いたとたんに、机に顔を伏せ誰かに連れられて保健室へ。その時わたしも「大丈夫か?」て声をかけたけど、実は犯人は私だったみたいで。。
先生にボソボソ文句言ってたのが、自分に向けて言われてると思い泣いてしまったと。
ちょっと上のお兄さんがイライラしてボソボソしてたのが怖かったんかなーと。
専門学校で苦労したのはもちろん学業。高校時代は赤点対策の学業を行っており、そこから大学で遊んだり、バイトをしていたので、最後にちゃんと勉強したのは中学までさかのぼる。
そして、入学した専門学校は、高校も持っており、高校入試の時に特待生をもらったが「こんばバカな高校は滑り止めや!」て思ってたので、もちろん蹴った。しかし、その同じ系列の専門学校でぐしゃぐしゃになってる私。素直には生きていなかった。
当時わたしは「変人=個性的」と思い。変人を目指していた。そんな自分に寄って来る友もおり、ありがたかった。ちなみに弁当はベランダで一人食べていた(途中からベランダ族が増えたけど)。
とにかく専門学校も下の成績でのらりくらりなんとか進級していきていた。
その陰には常に馬術のバイトで稼いだお金があった。1日6050円。警備と比較したら安いが
好きなことしてお金もらえるから満足していた。
この記事を書いていると、忘れていたクラスメイトを思い出す。
お買い物して会計時にテレビのリモコン出した子。寝坊しまくりでタクシーで来てた子。☜たぶん同一人物。
なんとかゴンて名字の人。声がでなくなった人。やめた人々。YESしか言わんやつ。秀才なやつ。
一緒に星をみた友人。その時酒を買ってこさせたパシリ。1人称を「うち」て言うおじさん。
チャリの人。妄想友人。細い男子。寝ぼけた私に尻を触られた人。BOSSな人。
みんな何してるかなー。意外と連絡とってないや💦
ま。この記事で言いたいのは。成績悪くてもいつかはSTになれるってことやね。
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