なんとなく言語聴覚が学科を選択したわたしは、受験に失敗し1年の浪人生活を送ることになった。当時専門学校はバカが行く場所と思ってた自分には屈辱的だった(成績悪いくせに)。
そこで、はじめて「バカ」を自覚した。大学を2年だらだら行き,
馬さえ乗れればいい生活を送って将来を微塵も考えていなかった自分。あーバカだ。。
大学に入学したときに、ナリタブライアンの産まれた牧場に行きたい!!と一人北海道へ行った。1週間労働を提供する代わりに、住み込みさせてもらい仔馬の世話などをした。その時スタッフに「いつでもきてくれよ」的なことを言われ、将来の夢が決めれない時は、馬の世話をしながら生きるのもいいなー。てどこかで最後の砦を作っていた。
馬が大好きなら最初から馬の世話する仕事すればいいと思うかもですが、職業にするとあまりにも過酷なのは知っていたし、お金を払って乗る側の人間になりたかった。
だから馬の世話で働くのは容易だったが、ずっと抵抗していた。
そして、たかだか専門学校に入学するための浪人が始まる。受験は数学か国語(わたしの学校の場合)のどちらかと面接。もちろん数学を選択。しかし問題はそこではなかった。数学は受験まで、問題集をやっとけば間に合う。わたしに足りないのは「志」だった。
まずは言語聴覚士を知らなすぎるし、魅力なんて一切感じない。ライバルが少なく就職しやすくお金もそこそこもらえる。だけ。それしか知らなかった。
だから養護学校に在籍する先生に、たくさん話を聞いた。きっと彼女も見抜いていたに違いない。「こいつ何も知らない」と。
バイトは養護学校の警備がメインだが、夏休みは配置換えがあり海水浴場のライフセーバーとなっていた。当時20歳だった私は、30歳の「アリマ」という人に毎日説教していた。
私:「必ずやけどするから、日焼けクリーム塗ってください」
アリマ:「いやいや。若い子は弱いねー。そんなの塗らんでも、太陽でやけどなんかしないよ。」
私:「しゃれにならないので、貸すんで塗ってください。」
アリマ:「ふっ。」
あ。こいつ鼻で笑いました?いや笑ったよね!?
いやいや。ちゃんと言ったしもう知ったこっちゃない。
そして次の日。アリマは足首やひざに大やけどをおい包帯でぐるぐるで現れた。
ライフセーバーの仕事は監視台5つ、ボート2台を交代で回るのだが、アリマはボートができないと、みなにお願いしていた。
言わんこっちゃないと。わたしにめちゃくちゃ怒られたのは言うまでもない。次号へつづく。
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