わたしが言語聴覚士になるまで~高校時代~

日記

ワンランク下の高校

さかのぼること高校時代。わたしは地元を離れ隣町の高校へ。学歴は中の中の高校。レベルの高い高校に行くより、1つレベルを落とした方が伸びる!と言われ妥協もあり、その高校へ。

なんの目標もなく、なーんとなく決めた高校で、中学時代やってたバスケ部になーんとなく入学。そこには中学時代の敵だった人もいて「あっあの上手な人だ」とかわくわくしながら見学。そこで超うまい先輩がいて「がしとうまい!!」と方言を発すと、隣で見学してたやつに「がしとうまいだって」と見学者同士でニヤニヤしていて。

その一人だけでなく周囲も笑いはじめ、その言語しか話せない自分は、それを機に話すのが怖くなり、たまに話してみても1回笑われてから会話する感じに。そして、1つレベルを下げた高校のために、聞いたことない下ネタや(当時)、全く興味のない会話が飛び交う世界だと気づいてしまった。それも手伝い絶対友達出来んわーて高校生活スタート。

たかだか隣町だったが、それほど私の地元の方言はきつかった。

今まで笑わせて来て生きてた人間が笑われることには耐えきれず、入学して1か月後には「シロー(つぶやきシロー)」と言われていた(方言出さんようにはなすから…ぼそぼそ)。2か月たつと自分のなかの「新キャラ」を受け入れ、人とあまり関わらなくていい心地よさを感じていた。ちょうどそのころ馬術部に入部したころでした。

馬術との出会い

馬術部は魅力の塊で、木馬にでも乗るんだろうなて気持ちで入部したのだが、そこにはサラブレッドが18頭いた。

活動は主に土日のみ。朝早く厩舎へ向かい飼いつけを行い、馬がご飯の間に自分の着替え。着替えたら馬房掃除、馬の手入れ、馬装、乗馬、手入れ、飼いつけの流れ。馬術の詳細は今後記すとして、その馬術にあけくれた3年間は、血と汗と涙で自分の礎を築いた。…血はないかも。

高校生は、土日の馬術で疲れ切った体を癒すのに月~金はほとんど寝ており、「シロー」とか言われてるのもお構いなしにそのキャラで居て、馬と話す術を習得し、馬術のみのために時間を費やしていた。授業中起きているときも、どうやったらうまく乗れるかしか考えていなかった。

赤点逃れ術

そう。そんなんだから成績は下から5番以内にいたと思う。そして高校には成績の悪いやつは保護者召喚を食らうのだ。その高校は赤点(平均の半分以下)2つで保護者召喚なのだが、レベルを落とした高校でそんな恥ずかしいことしたくないと強く思い。「まぁ平均70点はあんましいかんだろう」と踏んで、苦手な国語は赤点と決め、他の教科は35点分勉強するという技で1度も保護者召喚されたことはなかった(変な自慢)。ちなみに下から20人くらいは毎回呼ばれていたが、わたしは1度もなかった。

そんな勉強法も実り?馬小屋に1番近い大学に進学。晴れて大学生となった。そこには様々な言語を話す人がおり、何しゃべっても笑われない!!周囲の方が強烈だしと、わたしの「シロー」も卒業。

馬術とバイトの大学生活がはじまった。

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